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2年前の新聞。

2010/11/26 Fri 11:57

新聞を集めること、雑誌やフリーペパーを収集すること、魅力的なチラシをまとめておくこと…
収集癖のある私は、そうやって気に入ったものをためて、分類・整理して、コレクションしていくことがこの上なく好きである。勿論、それを見返して、資料やネタの種にするためのものだが、最近古い新聞を見直してみた。

広告のクオリティは、良し悪しは別としてだが、ものすごく変化している。
やはり数年前のものは『古い』という印象を与えるのだ。

だけど。
新聞や雑誌の記事の内容はほとんど変化がない。
数年前の記事。
ちょうど今日見たのは2年前の新聞と、4~5年前のフリーペーパーの記事。
手に取ったページが両方教育問題に触れていたから余計に印象に残ったのかもしれない。
ゆとり教育に関するものだった。

教育の問題はいつでも議論の的になる。
子は宝であるし、子どもが幸せに暮らせないような集合体では、将来はないと思っている。
両方ともゆとり教育に批判的な内容だったのだけど、
まぁそうだな、と納得させるような力強さはあった。
ただ、解決策は何一つ記されてなかったけど。
あまりに個人的な意見を述べてしまったらただのエッセイやコラム、日記のようなものであって新聞じゃなくなっちゃうからあってるけど。

ゴールのない議論て、結構あるなぁと思った今日この頃。
情報化で色んなものを『早急に』判断することが迫られる今日。
急げばいいってもんじゃないなと思っている。

だって、数年前に読んだ記事と今読んでいる記事、内容にさして違いはないんだもん。
時間をかけるべき問題と、早い対応が問われるもの、それぞれ特徴がある。
それを取捨選択する、ってことは難しいんだよな。

子どもたちの幸せを願って考えられているはずなのに、大人は『ゆとり』をあまり良い場面で使わない。
ダメだよ、大人なんだから、そんな対応しちゃ。

そういう私も、『ゆとり』になる最後の学年だった。
下の学年から『ゆとり教育』が実施されて、教科書の内容が大幅に変わった。
現在24歳(埼玉県の場合)。
でも約25歳以下からゆとり教育です、って説明されるとなんだか悲しくなってしまうのは、
自分自身、『ゆとり』と言われたくないと思っている表れなんだろう。ダメ人間…。

ただ、私たちの下の学年からセンター試験の英語にヒアリングが加わった。
これって結構な負担だと思うぞ。
さらに、確か1学年上から国立大学の入試科目が5教科7科目になった(例外もあり)。
そのことを考慮するとただ単純に勉強内容が薄くなったとは言えないんじゃないかな。

社会的な反省は人のせいにして、自分たちだけ議論の優位に立とうとすることは賢明ではない。
子どもは大人の背中を見て育つ。だから、人のせいにしていく大人を見て、それで良いんだなと思ってしまう。
悪いスパイラルに落ち込んでいく。それではいけない。
自分たちもその責任を感じて、物事が良くなっていく道を見つけなければいけない。
本気で考えなきゃいけない。誰のせいでもなく、自分の責任なのだ。

自分以外の人の感情は、予測する以外に不可能なのだから。
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